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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)8967号 判決

原告

ジャパン興業株式会社

右代表者代表取締役

星野正男

右訴訟代理人弁護士

星運吉

被告

右代表者法務大臣

遠藤要

右指定代理人

川野辺充子

外二名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金二五〇〇万円及びこれに対する昭和五七年八月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文第一及び第二項と同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(本件登記申請の経緯)

(一)  原告は、昭和五七年六月一〇日、訴外第一通商株式会社(以下「第一通商」という。)から別紙物件目録記載の土地三筆(以下、三筆の土地を総称する場合は「本件土地」といい、各別の土地を称する場合は、別紙物件目録記載の各土地に付した番号に対応し、それぞれ「本件土地(一)」、「同(二)」、「同(三)」という。)を代金六一八六万四〇〇〇円で買受けた(以下「本件売買契約」という。)。

(二)  本件土地(一)及び(二)は訴外吉原滝子の、本件土地(三)は訴外吉原わのそれぞれ所有するものであつたところから、原告と第一通商との間で、本件売買契約締結に際し、本件土地の所有権移転登記はその所有者たる右吉原滝子及び吉原わの両名から直接原告に移転することとし(いわゆる中間省略登記)、前記売買代金は、右所有権移転登記申請手続の終了後支払うことを約した。

(三)  そこで原告は、昭和五七年六月一〇日、吉原滝子と称する人物から、本件土地の所有権移転登記申請手続に必要である本件土地の登記済証二通(本件土地(一)及び(二)についてのもの一通及び本件土地(三)についてのもの一通、以下「本件登記済証」という。)、吉原滝子及び吉原わの印鑑証明書(以下「本件印鑑証明書」という。)及び委任状各一通の交付を受け、その後、同日午後一時三〇分ころ、原告の依頼した司法書士石川光保(以下「石川司法書士」という。)が浦和地方法務局川口出張所「以下「川口出張所」という。)に対し、前記書類を添付したうえ本件土地の所有権移転登記手続の申請をし(以下「本件登記申請」という。)、右申請手続を終了した。

(四)  原告は、右申請手続が終了したことを確認した後、同日午後一時三〇分ころ、第一通商に対し、売買代金の内金として現金三五〇〇万円及び原告振出の額面金二〇八六万四〇〇〇円の小切手(以下「本件小切手」という。)を交付した。

(五)  ところが、右吉原滝子と称する人物は替玉であり、本件登記済証、印鑑証明書及び委任状は偽造されたものであることが判明し、結局原告は売買代金名下に支払つた金五五八六万四〇〇〇円を騙取されたものである。

その間の経緯は次のとおりである。すなわち、

(1) 訴外中村稔、同三上勝三及び同須田靖は共謀のうえ、吉原滝子所有にかかる本件土地(一)及び(二)並びに吉原わ所有にかかる本件土地(三)の三筆の土地につき、登記済証と右両名の印鑑証明書及び委任状を各偽造して右土地の売買代金名下に金員を騙取しようと企て、同土地の売買を、情を知らない第一通商(代表取締役内山和男)をして原告に仲介させ、昭和五七年六月一〇日、原告と右第一通商との間でいわゆる買取仲介形式による売買契約を締結させたうえ、原告に対し、偽造した本件登記済証、印鑑証明書及び委任状を交付した。

(2) 原告が登記申請手続を委任した石川司法書士は、同日午後一時三〇分ころ、登記申請書に右登記済証等を添えて、川口出張所において、備付けの受付箱にこれを投入し、申請手続を終了した。

(3) 原告は、右手続終了直ちに、同日午後一時三〇分ころ、埼玉県川口市中青木二丁目二〇番二八号所在飲食店「コーヒーの店珈琲山吹」において、右第一通商に対し、売買代金名下に現金三五〇〇万円及び原告振出の額面金二〇八六万四〇〇〇円の小切手を交付したところ、前記中村稔らは、直ちに第一通商から本件土地の売買代金名下に現金三〇〇〇万円及び第一通商振出の小切手七通、額面合計金一二四五万円の交付を受けて、これを騙取するとともに、原告に交付した本件登記済証、印鑑証明書及び委任状の偽造が発覚して右小切手の支払が拒否されるのを防ぐため、川口出張所の前記受付箱から石川司法書士が提出した本件登記申請書類一切を抜き取り窃取した。

2(被告の責任原因)

(一)(本件登記済証等の外観)

(1) 本件登記済証二通に押捺されていた登記済印及び川口出張所の庁印は、真正な登記済印及び庁印とは形状や大きさにおいて一見して明らかに異なつていた。

(2) 本件印鑑証明書は、用紙が無地で、被証明者の住所氏名が活字で印刷されていたところ、川口市発行の真正な印鑑証明書は偽造予防のため、すべて用紙に地紋が入つており、この地紋はコピー機にかけると消滅してコピーされたものには顕出しないようになつている。そして、被証明者の住所氏名は活字ではなく、手書きで記載されている。したがつて、川口市の真正な印鑑証明書を見馴れている者にとつては、本件印鑑証明書が偽造されたものであることは、一目瞭然であつた。

(二)(登記官の注意義務)

登記官は、申請書を受取つたときは遅滞なく申請に関する総ての事項を調査し(不動産登記法施行細則第四七条)、登記の申請に欠缺があり、その欠缺が即日に補正されないためにその申請を却下すべき場合には、なるべく事前にその旨を申請人又はその代理人に告げ、その申請の取下の機会を与えるべき(不動産登記事務取扱手続準則第五四条第二項)注意義務がある。

また、登記官は、窓口に提出された申請書を窃取されないよう十分に注意して保管すべき注意義務がある。

(三)(登記官の過失)

川口出張所登記官は、昭和五七年六月一〇日、本件登記申請を受付けるに際し、原告の代理人である石川司法書士から提出された申請書について、不動産登記法施行細則第四七条の「登記官カ申請書ヲ受取リタルトキハ遅滞ナク申請ニ関スル総テノ事項ヲ調査スヘシ」とする規定に違反し、不動産登記第四九条の一号ないし一一号の事由につき全く調査しようとはせず、右石川をして漫然右申請書を窓口の受付箱と称するものに入れさせたのみでこれを放置した過失により、前記中村稔らにより同申請書を窃取された。

(四)(因果関係)

(1) もし、川口出張所登記官が本件登記申請書類を窃取されることなく、不動産登記法施行細則第四七条に従い、不動産登記法第四九条に定める事項につき遅滞なく調査していたならば、前(一)項(1)、(2)記載の外観から、本件登記済証や印鑑証明書の偽造はその場で発見し得たはずであるし、本件登記申請の欠缺は、添付されている登記済証も印鑑証明書も偽造されたものであつて、到底補正によつて治癒し得るものではないから、不動産登記事務取扱手続準則第五四条第二項に従い、同登記官は、直ちにその旨石川司法書士に告知すべきであつた。そうすれば原告は、第一通商に対し、本件売買契約の代金として、現金三五〇〇万円及び本件小切手(額面金二〇八六万四〇〇〇円)を交付することを免れ得たはずである。

(2) 仮に、川口出張所登記官が、本件登記申請を、申請書提出と同時に調査できなかつたとしても、申請書の保管につき十分な注意を払つていたならば、申請書を窃取されることはなかつたはずであり、同登記官は、本件申請の調査を、本件登記申請のなされた昭和五七年六月一〇日中には完了し、本件登記済証や印鑑証明書の偽造を発見していたはずであるから、同登記官は、同日又は翌日には、原告又はその代理人の石川司法書士に対し、その旨告知すべきであつた。そうすれば、原告は、少なくとも本件小切手(額面金二〇八六万四〇〇〇円)については、その支払を免れ得たはずである。

何故ならば、本件小切手は株式会社太陽神戸銀行丸之内支店を支払人とする横線小切手であるところ、訴外内山和男は、同小切手を昭和五七年六月一〇日、同栄信用金庫本店に持込み、同金庫に取立委任をなし、本件小切手は、同月一一日付で決済されたものであるが、原告は、同日午後四時ころまでに騙取の事実を知れば、支払銀行に対し、支払の停止を求めることによつて、本件小切手について現実の支払を止めることができたからである。

(五)  よつて、前記登記官の行為は、国の公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて過失により違法に他人に損害を加えた場合にあたるから、被告は、原告の後記損害を賠償する責任がある。

3(損害)

(一)  騙取された売買代金五五八六万四〇〇〇円(現金三五〇〇万円及び額面二〇八六万四〇〇〇円の本件小切手)

(二)  弁護士費用 金二五〇万円

原告は、本件訴訟の追行を、弁護士星運吉に依頼し、着手金として金一〇〇万円を支払い、成功報酬金として金一五〇万円を支払うことを約した。

よつて、原告は被告に対し、国家賠償法第一条に基づき、損害賠償として前記損害のうち金二五〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日である昭和五七年八月六日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の反論

(認否)

1 請求原因1のうち、本件登記済証が偽造されたものであることは認め、その余は知らない。

2 同2(一)のうち、本件登記済証に押捺されていた登記済印及び庁印が、真正な登記済印及び庁印とは形状や大きさが異なつていたことは認め、その余は争う。

3 同2(二)のうち、不動産登記法施行細則及び不動産登記事務取扱手続準則の各規定があることは認めるが、その趣旨は争う。

4 同2(三)ないし(五)は否認ないし争う。

5 同3は争う。

(反論)

1(本件登記申請の処理)

(一) 本件登記申請は、いずれも昭和五七年六月一五日、川口出張所に提出され、同出張所において受付けたものである。

(二) 本件登記申請の処理については、他の登記申請と同様、申請書の記載事項及び添付書類の適否、申請書及び添付書類と登記簿との照合(いわゆる調査)、右の調査終了後に登記事項の登記簿への記載(いわゆる記入)、右の調査及び記入についての審査(いわゆる校合)及び新たな登記済証の作成の順序により行われ、これらの一連の作業は遅くとも同月一六日午後三時ころまでに終了した。

(三) 同月一六日午後三時ころ、吉原わの夫である吉原健藏及びその知人一名が川口出張所に来庁し、「所有者の知らない間に土地が売りに出されているらしいので調べてほしい」旨の申出を行つた。

(四) 右の申出を受けて登記官長谷川潔が調査したところ、本件登記申請は、いずれも登記簿に申請どおりの登記事項が記載され、校合済みであつたが、本件登記済証について登記印影簿と照合したところ、右登記済証に押捺の登記済印及び契印が登記印影簿に登録されているものと比較して、印影の大きさ及び刻字が相違する等の事実から、いずれも偽造であることが判明した。

(五) 右のとおり本件登記済証の偽造が明白となつたので、川口出張所では直ちに本件登記申請にかかる一件書類を別途保管して、その取扱に特段の留意を行うとともに、同日午後四時三〇分ころ、浦和地方法務局に対し、口頭により事実関係の概要を報告した。

(六) 同月一七日午前、浦和地方法務局において、本件登記申請の取扱について協議の結果、早急に告発の手続をとることに決し、同日午後三時三〇分ころ、川口出張所長名により埼玉県川口警察署長に対し、公文書偽造、同行使の疑いがあるとして、告発状を提出し、同時に関係書類の押収方を依頼した。

(七) 同月一八日午後四時一〇分ころ、川口出張所から川口警察署に対し、再度関係書類の押収方を要請したところ、川口警察署から「差押許可状を得たので、一九日午前に関係書類の押収を行う。」との回答を受けた。

(八) 同月一八日午後四時五〇分ころ、本件登記申請代理人石川司法書士から登記官長谷川潔あて電話があつた際、同登記官は、石川司法書士に対し、本件登記申請に偽造の登記済証が添付されていることを伝えた。

(九) 同月一九日午前八時三五分ころ、川口警察署員が来庁し、差押許可状を示して本件関係書類の提出を求めたので、直ちに本件登記申請について却下処分を行い、関係書類一切を川口警察署員に引渡した。

それと同時に、既に登記簿に記載済みの登記事項及び新たに作成済みの登記済証の記載について、いずれも誤記として抹消の措置をとつた。

2(登記官の過失について)

(一) 登記官が申請書を受取つたときは、遅滞なく申請に関する総ての事項を調査しなければならないとされている(不動産登記法施行細則第四七条)が、ここにいう「遅滞なく」とは、登記官が申請書類を調査するのに通常要する相当の期間内に調査すれば足り、「直ちに」調査しなければならないものではない。

すなわち、一日に大量の登記事件が提出される登記所においては、調査に相当の日時を要するものであつて、調査完了予定日を補正日(提出された申請事件に関する補正の有無を確認すべき日)として予告しているのが登記所の実情であり(昭和三九年一二月五日民事甲第三九〇六号・民事局長通達)、このような取扱は、大量の登記事件の適正迅速な処理に資するものであつて、法の趣旨に反するものではない。

登記官は、本件登記申請については、前記のとおり適正に、受付、調査を行つたものであつて、登記官が過失により本件登記申請の取扱を遅延させたことはない。

(二) 登記官は、提出された申請事件についていわゆる補正日を予告しており、この取扱は、一日に大量の登記事件が提出される登記所の状況から、補正の告知方法として必要にして充分な措置であるから、それ以上登記官が積極的に補正の事実を告げる義務を負うものではない。

また、本件登記申請のように、偽造文書の行使が明白な場合、登記官は、刑事訴訟法第二三九条第二項により告発を義務づけられているので、犯罪事実の全容を確実に把握し、犯人の特定及び証拠の保全に必要な措置を直ちに講じなければならないのであるから、申請人に対し直ちに偽造文書の存在を告げることは、申請の取下の機会を与え、右犯罪の重要な証拠となる申請書及び添付書類を還付することとなつて、右証拠を散逸させ、あるいは犯人に犯罪の発覚を覚知させて逃走の機会を与えることとなるから、右告発義務に反することになる。

さらに、登記官は、本件登記済証の偽造の事実をその登記手続の過程で発見したとしても、申請人が既に売買代金の一部として小切手を交付し、これが未だ換金されていないことを知る由もないから、右小切手の換金を阻止するため、登記官が直ちに右偽造文書発見の事実を申請人に告知する義務があるとすることもできない。

3(登記官の行為と原告の損害との因果関係について)

(一) 仮に、本件登記申請書が昭和五七年六月一〇日に川口出張所に提出されていたとしても、原告が売買代金を支払つた時点では、登記官は本件登記手続を未だ完了していなかつたのであるから、原告主張の損害と登記官の登記処分との間に因果関係がないことは明らかである。

すなわち、原告は、本件登記申請書を川口出張所の申請書受付箱の中に投函した直後、売買代金の支払をし、これにより損害が生じたものであつて、登記官の行為と右損害との間には因果関係がない。

(二) 仮に、登記官が本件登記申請の調査の過程で偽造文書の存在を発見した場合、その都度直ちにその事実を申請人又はその代理人に告知する義務があるとしても、右は、申請人が第三者に騙取された小切手の換金を阻止するために要求される義務であるとは到底いえるものではなく、登記官には、申請人が売買代金の一部として小切手を交付していること、また、同小切手が未だ換金されていないことを知る由もないのであるから、原告が小切手の換金を阻止することができなかつたため、右小切手が換金されたことによつて被つたとする損害と、登記官の右告知義務違反との間には因果関係は存しないというべきである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件登記申請の経緯

〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

1  訴外中村稔(以下「中村」という。)、同三上勝三(以下「三上」という。)、及び同須田靖(以下「須田」という。)は、共謀のうえ、吉原滝子所有の本件土地(一)及び(二)並に吉原わ所有の本件土地(三)を、同人らに無断で売却して金員を騙取しようと企て、三上が、昭和五七年六月四日、第一通商の代表取締役である内山和男(以下「内山」という。)に対し、同道した老女石岡アキ及び氏名不詳の男性を、それぞれ吉原滝子及び同女の甥の吉原清一郎であるとして紹介し、「吉原清一郎さんは、食品会社を経営していたが、倒産したので、おばさんの持つている土地を売つて借金を整理するのです。わさんは病気で動けないので姉さんの滝子さんが来た。この件はすべて私がまかされている。」などど虚構の事実を申し向け、中村が偽造した本件登記済証をあたかも真正に成立したもののように装つて提示し、内山をして三上らとの取引によつて本件土地の所有権を取得できるものと誤信させた。

2  右の話を受けた内山は、原告に対し、本件土地を購入しないかと持ちかけ、三上から聞いた売主側の事情を説明したところ、原告は、坪単価が四〇万円以下であれば利益があるものと考え、取引に応ずることにした。そして当初は、第一通商が仲介するとの話であつたが、後に、第一通商がいつたん買受け、これを原告に転売することになり、また代金額は折衝の結果坪当り三八万円と決定された。

3  三上は、同年六月八日、中村が偽造した吉原滝子及び吉原わの印鑑証明書を原告に届け、翌九日、原告の依頼した石川司法書士が調査したところ、吉原わの印鑑証明書の氏名の記載が「吉原とわ」となつており、登記簿謄本の記載と異つていたことから、右石川は原告に対し、「吉原わ」と記載された印鑑証明書が必要である旨指示した。

4  原告は、同年六月一〇日午前中、原告会社において第一通商との間で、本件土地を代金六一八六万四〇〇〇円で買受ける旨の本件売買契約を締結し、所有権移転登記は、登記名義人吉原滝子(本件土地(一)及び(二)について)及び同吉原わ(本件土地(三)について)から直接原告へ移転する、いわゆる中間省略登記の方法ですること、売買代金は、右登記申請手続完了と同時に支払うことを約し、売買契約書に調印した。そして同日正午ころ、本件土地の現場に、原告側から取締役古川皖記(以下「古川」という。)外二名が、第一通商から代表取締役内山が、また所有者側からその委任を受けたと称する三上及び吉原滝子に扮した石岡アキらが集まり、土地の境界を確認した後、同日午後一時ころ川口市中青木二丁目所在の川口出張所に赴いた。他方石川司法書士がそのころ川口出張所において、本件土地の登記簿を閲覧して登記事項に変更がないことを確認し、その旨を待機していた右古川らに報告した。そこで右全員が川口出張所前の飯食店「コーヒーの店珈琲山吹」に集まり、石川司法書士が右石岡を介して三上から「吉原わ」と記載された本件印鑑証明書を受取るなどして、本件登記申請に必要な書類一式を完成させた。

5  そこで、石川司法書士は、同日午後一時二〇分ころ、本件登記申請のために、川口出張所受付窓口に赴き、同出張所内の印紙売場において、本件登記申請に必要な印紙(金七五万三三〇〇円と金五万〇九〇〇円の二組)を購入しようとしたが、右売場の係員は、そのような多額の印紙が手元にないので、購入でき次第貼付しておく旨述べ、申請書の印紙貼付用紙の上部に、石川の氏名、金額等を記入した紙片をとめた。そこで石川司法書士は、右印紙の代金を支払い、その領収書を受取り、本件登記申請書類を、川口出張所の受付カウンター上の受付箱に「お願いします。」と声をかけて投函した。その際石川司法書士は、補正日が六月一五日であることを確認してメモした。

6  このようにして手続を済ませた石川司法書士は、古川らの待つ前記「コーヒーの店珈琲山吹」に戻り、同人らに本件登記申請書類を提出してきたことを告げた。そこで、右古川は、同日午後一時三〇分ころ、第一通商の代表取締役内山に対し、本件売買契約の代金として、現金三五〇〇万円及び原告振出の本件小切手(額面金二〇八六万四〇〇〇円)を交付し、内山は、三上に対し、本件土地の売買代金として、現金三〇〇〇万円及び第一通商振出の小切手七通、額面合計金一二四五万円を交付した。そして、内山は、本件小切手を取立に回し、同小切手は遅くとも同年六月一二日には決済された。

7  他方、前記中村及び須田は、第一通商振出の小切手が現金化できるまでの間、本件登記済証等の偽造の事実が発覚するのを防ぐため、本件登記申請書類一式を抜き取ることを企て、中村が、同年六月一〇日午後一時三〇分ころ、川口出張所において、登記申請書の受付箱から本件登記申請書類一式を抜き取つた。そして、須田が、同年六月一五日午前中、本件登記申請書類を受付箱に戻した。

8  川口出張所登記官は、同年六月一五日、本件登記申請につき受付番号を付し、調査、記入、校合及び新たな登記済証の作成という順序で登記手続を行い、これらの作業を同月一六日午後三時ころまでには終了した。

ところが、吉原わの夫である吉原健藏らが、同日午後三時ころ、川口出張所を訪れ、不審な点があるので調査してほしい旨申出たことから、登記官長谷川潔が、本件登記申請書類を調査したところ、本件登記済証に押捺されている登記済印及び契印が、同出張所に備付けられている登記印影簿に登録されているものと比較して、印影の大きさ及び刻字が相違することが判明し、本件登記済証が偽造されていることが明らかとなつた。

9  そこで、川口出張所は、同年六月一六日午後四時三〇分ころ、浦和地方法務局に対し、事実関係を報告した。そして、同月一七日午前、浦和地方法務局において、本件登記申請の取扱について協議した結果、告発の手続をとることに決し、川口出張所長は、同日午後三時三〇分ころ、川口警察署長に対し、公文書偽造、同行使の疑いがある旨の告発状を提出した。

10  同年六月一九日午前八時三五分ころ、川口警察署員が、川口出張所に来庁し、差押許可状を示して本件登記申請書類の提出を求めたため、同出張所登記官は、直ちに本件登記申請について却下処分をし、関係書類一切を川口警察署員に引渡すとともに、既に登記簿に記載済みの登記事項及び新たに作成済みの登記済証の記載について、いずれも誤記として抹消した。

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

二そこで、以上認定の事実に基づいて、川口出張所登記官の過失の有無及び原び原告主張の損害との因果関係の存否について検討する。

1  原告は、登記官が登記申請書を受取つたときは、遅滞なく申請に関する総ての事項を調査すべきであるのに、川口出張所登記官はその義務を怠り、本件登記申請書類を窓口の受付箱と称するものに入れたのみで、これを放置した過失があると主張する。

そこで考えるに、〈証拠〉によると、川口出張所においては、申請件数の増加に伴ない、昭和五五年一二月ころから受付カウンターの上に金属製の受付箱(正面に書類を投入する隙間があり、裏面に書類を取り出すための開閉蓋がついているもの)一個を備え置くようになつたこと、申請人がこの受付箱の投入口から申請書類を投函し、ある程度申請書類がたまると、同出張所職員が投函順に申請書類を取り出し、申請書に受付年月日及び受付番号を記載するとともに受付帳に同一の年月日と番号及び申請人の氏名を記載し、なお受領証の交付を求められた場合は、これを作成して申請人に交付して受付手続を完了し、次の調査の工程に回し、ここで申請書及び添付書類の調査が行われ、登記簿その他の帳簿と突合して申請の適否を判断するという仕組みになつていたこと、昭和五七年六月当時、同出張所における申請件数は、一日平均約二〇〇件にのぼり、受付事務は一名の事務官が、また調査事務は一名の登記官及び二名の事務官がその処理に当たつていたことが認められる。不動産登記法施行細則第四七条「登記官カ申請書ヲ受取リタルトキハ遅滞ナク申請ニ関スル総テノ事項ヲ調査スヘシ」と規定しているが、登記所における人的及び物的制約から、申請書が提出されてから登記官が調査するまでにある程度の時間を要することはやむを得ないところであつて、右規定の趣旨は、登記官としては、申請書が提出されてから通常調査に必要な合理的時間内に調査すれば足り、申請書が提出されたその場で直ちに調査すべきことまで要求したものではないものと解するのが相当である。そして、右に認定した川口出張所における登記申請の処理方法自体は、当時の申請件数及び処理態勢からすれば、合理的なものであつたといわざるを得ず、石川司法書士が受付箱に本件登記申請書類を投函した後、登記官が直ちにその調査をしなかつたからといつて、過失があつたということはできない。

2  しかしながら、右のとおり川口出張所が登記申請を受付けるについてカウンター上に受付箱を備え置き、これに申請書類を投函させる方式をとつている以上、投函によつて申請書類の支配は同出張所登記官に移り、これによつて申請書の提出があつたものといわざるを得ず、してみると同出張所登記官としては、受付箱の保管を厳重にし、いやしくも投函された申請書類が抜き取られるようなことがないようにすべき注意義務があることはいうまでもないことである。しかるに、前段認定の事実によれば、石川司法書士が受付箱に本件登記申請書類を投函した後、間もなく犯人の一人がこれを抜き取つたのに、同登記官は、これに気付かず、漫然放置していたのであつて、受付箱及びこれに投函された本件登記申請書類の保管義務を怠つた過失があるものといわなければならない。

しかしながら、前段認定の事実によれば、原告が、昭和五七年六月一〇日、第一通商に対し、本件売買契約の代金として、現金三五〇〇万円及び本件小切手を交付したのは、石川司法書士が本件登記申請書類を受付箱に投函した直後、同人からその旨告げられたことに基づくのであつて、その時点においては、本件登記申請書類の提出があつたというにすぎないことが明らかであるから、これら現金及び小切手の交付によつて生じたとする損害と右過失との間に因果関係を肯定することはできない。

3  次に、原告は本件登記申請書類が受付箱から窃取されなければ、本件登記申請の調査は昭和五七年六月一〇日中には完了し、川口出張所登記官は、本件登記済証や印鑑証明書の偽造を発見していたはずであり、その旨同日又は翌日、原告又はその代理人である石川司法書士に対し告知すべきであつて、右告知がなされていたならば、原告は、本件小切手の支払を免れ得たはずであるから、同登記官の本件登記申請書類の管理に関する過失と本件小切手の支払によつて生じた損害との間には因果関係がある旨主張する。

そこで考えるに、本件小切手は遅くとも昭和五七年六月一二日には決済されたことは前段認定のとおりであるから、原告主張の損害と川口出張所登記官の本件登記申請書類の管理に関する過失との間の因果関係が肯定されるためには、同登記官において、右時点以前に、本件登記済証等の偽造の事実を発見し、かつこれについて原告又はその代理人である石川司法書士に対し、告知すべきであつたことが認められなければならない。しかしながら、本件全証拠によるも、これが可能であつたことを認めるに足りる的確な証拠はないし、仮に登記官が偽造の事実を発見したとしても、直ちにこれを申請人又はその代理人に告知すべき法的義務があるとはいえない。

もつとも、本件登記申請書類が昭和五七年一〇日中村によつて受付箱から抜き取られ、同月一五日に須田がこれを再び受付箱に戻したこと、そして本件登記申請について同日のうちに受付番号が付された後、翌一六日に調査を経て記入手続まで進んでいたことは前段認定のとおりであつて、〈証拠〉によれば、川口出張所において同年六月一〇日に受付番号が付された登記申請事件は約一七七件、同月一五日のそれは約二二〇件であることが認められから、右事実からすると、もし本件登記申請書類が窃取されることなく、同月一〇日に本件登記申請につき、受付、調査の手続きに入つていたならば、同月一五日おける右経過と同様、六月一一日中には調査が可能であり、本件登記済証等の外観に照らすならば、容易に偽造の事実を発見することができ、申請を却下する手続きに進むことが可能であつたと推測され得ないわけではないが、推測の域を出ず、右事実があるからといつて、本件小切手が決済される以前において、本件登記申請の却下手続が行われ、右決済を阻止することができたと断ずることは困難である。のみならず、仮に川口出張所登記官において右決済までに偽造の事実を発見する可能性が肯定されたとしても、前段認定の事実によれば、原告が第一通商に対して、本件売買代金支払の一部として本件小切手を交付したのは、本件土地が事実その所有者らの意思に基づき売買され、所有権移転に伴なう本件登記申請手続きに必要な登記済証及び印鑑証明書が真正に成立したものと信じたことに基づくのであつて、登記官の本件登記申請に対する処分を原因として交付されたとはいえないし、小切手の支払が登記官の処分に合わせて行われるよう設定されたと認めるに足りる証拠もないから、いずれにしても川口出張所登記官の右書類保管上の過失と、原告の現金支払による損害との間はもとより、本件小切手支払による損害との間には相当因果関係があるものとはいえない。

三以上のとおりであつて、原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官原 健三郎 裁判官長野益三 裁判官吉波佳希)

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